昭和44年1月1日毎日新聞社説

とある本を読んでいたら、昭和44年(1969年)元日の毎日新聞の社説の一節が紹介されており、非常に気になったので国会図書館のデータベースで全文を取り寄せました。著作権の保護期間も切れているので、全文紹介いたします。

変革期にどう対処するか‐”安保前夜”にすべきこと‐
 ことしは、内外ともに”変革の年”というのが、各方面の一致した観測のようである。”ベトナム以後””安保前夜”という二つの難題に、ハサミ打ちされそうなこの年を、いったい、どうしたら、みごと切りぬけうるであろうか。しかし、問題の所在も内容もハッキリしている。大事なのは、問題の難易よりも、むしろ、それに取組むわれわれの決意と姿勢でなければならない。

 日本が、現状の姿で、このきびしい試練に耐ええないのは、昨年の学生運動の例を振返ってみても明らかといえる。それは、主として、戦後の政治、社会体制が、ようやく現実に即しえなくなったことを示している。運動の主体が、学生という感じやすい世代であるだけに、政治の貧困と、制度の腐朽化とを、短兵急に暴露したに過ぎなかった。戦後の急速な技術革新と経済成長によって、社会は一変し、大学までが巨大な大衆社会に変容しているのである。為政者は、これに気づかず、大学当局は、旧態依然たる象牙の塔に安座していた。しかも重大なのは、教育は本来政治である、という大事な点が忘れられていたことである。政治の無能と腐敗が、学生をあげて「反体制」にかり立てたのも、けっして偶然とはいえないであろう。

 そこに、国の文教政策は死滅し、治安対策さえ、機能を失ってしまった。国立大学の建造物を、久しきにわたって暴力学生の占拠と破壊にゆだねたばかりか、学外における公然たる学生の破壊活動に対してさえ、手をくだすすべを知らなかった。一昨年秋の第一次羽田事件以来、現行犯で検挙された学生は約五千人といわれるが、そのほとんどは”三泊四日”の拘留で釈放されたという。これで、日本は、果たして法治国家といえるであろうか。少なくとも、学生運動に関する限り、無政府状態というほかはないであろう。

 学生運動に触発されて、各種の学制改革案や、文教政策についての多くの意見が出ているが、そのいずれも、単なる応急策でなければ、学生ベースの迎合案といった印象が強い。それでは、まさしく暴力への屈伏であり、危険といわざるをえない。学生運動の指導者らが、すでに学制改革や、学園の民主化などで満足しないことは明白で、真のねらいが、来年再検討期を迎える日米安保条約”粉砕”であり、一切の現体制の打倒にあることも、周知のとおりだ。

 ベトナムには、ことしも最終的平和はこないかもしれない。それは”安保”にも”沖縄”にも敏感に響いてくる。だが、これらの難題を克服するためには、なによりも、まず足元の乱れを正さねばならない。それは、われわれが、現実に即した新しい法と秩序を再建しうるか、否かにかかっている。

現実に合わぬ法と秩序
 科学・技術の進歩がもたらした、戦後二十余年の急激な社会的、経済的変動は、よく、過去の一世紀間の変化に比せられる。憲法をはじめ、わが国の法律、制度は、敗戦によって一新され、しかも、きわめて進歩的、民主主義的特色をもつ諸法制が、旧憲法下のそれにとって代わったはずだった。もっとも、それは、古典的自由主義に立つ、いちじるしく理想主義的色彩を持つ半面、成立過程における占領行政の要求から、必ずしも、日本の国情や、発展段階の現実に即したものとは、当初からいえなかった。以来、二十余年の実験と、その間の経済的、社会的成長は、現体制が、ことごとに、日本の現実にそぐわないことを立証したのである。

 もっとも、憲法については、その性質上、解釈による運用の余地があり、すでにそれは、かなりの幅において行われている。しかし、その他の諸法制については、すでに不要ないし障害物となったものは、改廃すべきが当然であり、新たに生じた必要に対しては、新たな法制が用意されねばならない。それは、戦時中の遺物である食管法の始末や、新たな治安立法の要請にとどまらない。政治は、本来、現行の法律と予算の”侍女”ではなく、むしろ、それを動かす”主人”であって、そこに、政治が行政から区別される理由もある。

 現実の必要に対応して、遅滞なく、法と秩序を整備し、再建する課題が、なによりも、政治の任務であることはいうまでもないだろう。われわれは、すべてを政治の責任に帰そうとするものではない。ただ、経済や社会の成長に対して、いちじるしく立遅れている政治の再生を望みたいのである。「法は器であり、経済は内容である」というが、新しい酒は、古い皮袋からあるいはもれ、あるいはあふれ出ている。

 そこに、脱税や汚職が発生し、社用族が横行し、レジャーと華美を競う巨大な浪費と堕落が、無制限に広がるのである。国民総生産が、世界第三位というのに、一人当たり国民所得は、第二十一位というアンバランスは、最も端的に、政治の貧困と、体制の立遅れを物語るものといえよう。それは、青少年と低所得大衆の欲求不満を刺激し、政治不信を増大する温床となって、民主主義の危機が憂慮されるゆえんでもある。

 議会制民主主義に対する、あらゆる批判にもかかわらず、われわれは、その進歩的、建設的政治原型を高く評価しないわけにはいかない。現行の議会民主主義も、占領行政の要求から発足したのであり、その限りでは、必ずしも、日本国民の自由な選択とはいえないであろう。しかし、われわれは、それが、誤りであったとは考えないし、むしろ、基本的には賢明な選択だったと信じている。
 
民主主義の再生を

 民主主義は、妥協の政治といわれ、そのため、腐敗と不能率が伴いがちなことも、知られるとおりだ。わが国の議会政治に対する不信や疑惑も、主としてその点に集中されており、議会民主主義そのものを否定する国民は、おそらく少数に違いない。そうだとすれば、政治にまつわる金と時間の浪費を一掃して、きれいで、能率的な政治を実現することが当面の急務であり、それによって、議会政治の信用を回復することも、けっして不可能ではないだろう。

 もっとも、我が国政治の現状には、それほど、楽観を許さない面のあることも否定しえない。一方には、自由民主主義を掲げながら、党利党略や派閥の利益に忙殺されて、国民的利益を忘れているかのような政党があり、他方には、表面、議会主義擁護を唱えながら、実際には、これを否定するかのような政党がある。それは、すでに国論の致命的な分裂に現われており、学生運動が”反体制”の破壊行動に暴走しつつあるのも、その極端な一例にすぎない。

 代議制に対する疑問も、このような社会的背景から生まれる。いわゆる”直接民主主義”の主張が聞かれるのも、これに関連するが、しかし、極度に分化し、多様化した今日の社会では、政治も高度に専門化し、複雑化しており、直接民主主義は、近代国家にあっては、とうてい容認しがたい制度といえよう。結局、わが国の民主政治の欠陥は、総合調整能力と指導力の欠如にある。これを強化する一方、為政者は、できるだけ豊かな情報を国民に提供して、常に、政治の実情と方向とを説明し、たえず、民意に聞く努力を怠ってはならない。大衆が”対話”を要求し”参加”を望むのは、むしろそのことであり、必ずしも直接民主主義を求めるものではないだろう。

 さて、当面の”安保”や”沖縄”を考える場合、憂慮すべきは、わが国の戦後ナショナリズムが、再び反米的、暴力的方向をとりつつあることだ。日本人の多くが、日本のおかれた国際的地位からも、国家利益の立場からも、日米友好関係の基本的重要性を認めていることは、各種の調査結果からも明らかといえる。しかし他方、日本外交の対米従属に大きな不満のあることも事実であり、それは、自衛隊のあり方や、在日米軍基地に対する批判に、端的に現われている。しかも危険なのは、いま”安保粉砕”や基地闘争の先頭に立っている青年、学生は、戦争を経験したことのない世代であり、彼らの思考も行動も、かつての日本的ウルトラ・ナショナリズムの再現を思わせることだ。ナショナリズムは本来、不合理主義で、盲目的だ。その指導いかんによっては、毒にも、薬にもなる性質をもっている。一年後に迫った”七〇年の選択”を前に、ナショナリズムを民主主義の軌道に乗せる仕事は、急務中の急務であり、外交における国民的合意の指標も、そこにあることを忘れてはならない。

50年前に書かれたとは思えないほど、今の時代にも通ずる問題提起、示唆に富む指摘がなされています。戦後24年、日本国憲法公布後23年ですでに、現行憲法の抱える問題点が毎日新聞によって鋭く指摘されていた、さらには解釈の幅による運用をやむを得ず是としていた、というのは新しい発見でした。